キミたんザウバーものがたり

@f1enigma さんが読んでネ★ってついったーで言ってた記事かな? 読みたかったのでうれしかったです(*´ω`)ニコール女神マジ女神。フィンランド語→ニコール女神→英語→オイラ→にほんご、です。

ペーターさんは最初キミたんをテストドライバー採用しようと考えていたみたいで、「いやいやこの子速いから!レースに出した方がいいって!」って進言したのが↓のインタビューで語っているレースエンジニアのJacky Eeckelaertさんだったよ、という話のようです。まじか。これからはキミたん関係で何か神がかり的にハッピーなことがあったとき、神様仏様Matti様パウラ様、ペーターさんロン兄貴、に加えてジャッキー様も追加して感謝しなければ…

How Kimi Raikkonen was discovered

original: Kisainsinööri muistelee: Näin Räikkönen löydettiin formula ykkösiin

キミ・ライコネンの最初のF1契約について、彼がどのようにザウバーにやってきたのか、エンジニアのJacky EeckelaertがMTV3に語った。Eeckelaertは2000年9月に行われたキミの初めてのテストでの担当エンジニアで、ザウバーでの2001年シーズンでもレースエンジニアを務めた。

ライコネンのF1テストは、トヨタへ行くミカ・サロの代わりをザウバーが探していた状況で行われた。Eeckelaertはスティーブ/デビッド・ロバートソン親子に、ジェンソン・バトンの契約について尋ねるために連絡を取った。バトンは2000年にウィリアムズからデビューしたが、2001年にJPモントーヤが加入するためにシートを失っていた。そのために、ザウバーはバトンがドライバーマーケットに出ているのかどうか、興味をもっていた。しかしバトンはブリアトーレ率いるルノーへ行ってしまった。ロバートソン親子はEeckelaertに、バトンの代わりにライコネンをオファーした。

ロバートソン親子は若かったライコネンのことをこのように説明した。「彼はジェンソン・バトンのようにとてもいい。でも別の個性を持っている。彼はとても強いキャラクターをもっている。資金が無い中でたくさんのことを自分でやってきたからだ。彼はとても集中している」

ザウバーは既に2001年シーズンへ向けてニック・ハイドフェルドと契約しており、彼は1シーズンのF1経験があった。ザウバーはルーキードライバーをチームに迎えることを考慮しており、そのため彼らはライコネンにF1テストをオファーした。それ以前にライコネンはフォーミュラルノーでのたった1年のフルシーズンしか経験がなかった。

ライコネンは2000年9月12日に行われた初めてのテストで、ザウバーC19に乗りムジェロを走った。Eeckelaertは特にライコネンの首がF1カーのGフォースにどれほど耐えられるかを考慮して、テスト序盤に3周の予選ラップを走らせた。休憩中にEecklaertとライコネンは、同日に行われたテストでのミカ・サロとPedro Dinizのテレメトリーと自分達のテレメトリーの比較を行った。ライコネンは初日に29周を走行し、Dinizのタイムから2.5秒遅れだった。しかしEeckelaertは、何もかもが素早く動く状況にライコネンの脳が一旦適応してしまえば、速さの進化がみられるだろうということを確信していた。

テスト2日目でライコネンは40周を走破し、タイムを1.27,130まで上げてきていた。これは初日のタイム1.30,008から考えると、チームが予測していたよりも明らかに大きな前進だった。テレメトリーを分析すると、ライコネンは新しいブレーキングポイントと、コーナー侵入での正しい角度を見つけていた。

3日間のテスト中に、フェラーリのミハエル・シューマッハもムジェロをドライブしていた。

Eeckelaertは振り返る。「もちろんシューマッハはこの質問をするためにザウバーに立ち寄った。あのドライバーは誰だ、君達がテストしているのは誰だ? とね。彼はキミ・ライコネンだ、と私が答えたとき、彼は速くなるぞ、とシューマッハは言った」

ペーター・ザウバーは当初、ライコネンをテストドライバーとして雇用しようと考えていた。しかしEeckelaertはザウバーに、このフィンランド人をレースドライバーとして獲得するよう進言した。3日間のテストで、ライコネンには非常に才能があり速いドライバーだということが明らかとなっていた。しかし彼の肉体的なコンディションは、60周のグランプリには耐えられない状態であった。従ってライコネンはアイルトン・セナの元トレーナーとトレーニングを開始し、レースに向けての準備を整えていった。

ライコネンは二度目のF1テストを9月28日にムジェロで行った。ラップタイムの比較でいうと、エンリケ・ベルノルディを僅かに上回っていた。エンリケもスポンサーのレッドブルのサポートを得て、ザウバーでのシートを探していた。Eeckelaertは、最も納得のいくことは、この若いフィンランド人が自分のクルマのセットアップ変更をどのように評価していたかということだ。スポンサー(レッドブル)の要求にもかかわらず、ペーター・ザウバーはライコネンをレースドライバーに選んだ。

ライコネンは2001年3月4日にオーストラリアGPで、ザウバーのドライバーとしてデビューした。そして6位フィニッシュしてポイントを獲得したのだった。その日から彼はワールドタイトル1回、優勝19回、表彰台69回と37回のファステストラップを獲得している。

ついでに別記事もザウバネタなのでいっしょにどうぞ。
Rinlandさんてどなたか存じませんけども、キミモンまゆ時代になる!っていうとこまではある意味正しかったですねえ。妹は(ry

Raikkonen is like Senna, says Rinland

12 December 2001

前ザウバーのデザイナーで現アロウズのチーフデザイナーであるSergio RinlandはBBCにこう語った。「彼の目の中に私はそれをみた。彼の目をみて私は、これは以前に見たことがある、そしてそれは誰だったのか知っているはずだ、と思った。それを思い出したとき、鳥肌がたった。それはセナだったからだ。あと何年後かには、ライコネン、JPモントーヤ、フェルナンド・アロンソ、そして恐らくラルフ・シューマッハがタイトルを争うようになるだろう」

べっつんとかハミルトンがこんな絡まってくると思ってなくて、ジェイビーもタイトルとるとは正直思ってなかったwんで、まゆきみ時代が来るのかなーと思ってたんですけど、それも違って、キミたんWRC放浪の旅に出ちゃうし、戻ってきて完走男になるし、なんかほんと、どうやって物事が転がっていくかってわかんないものですよねえ。
いまひゅる君のシートないかも(´・ω・`)とか、表彰台おしかった(´・ω・`)とか、トップチームのりたい(´・ω・`)とか、若手を応援する楽しみを満喫させてもらっていて、あーキミたんの若い頃のことも見ていたかったなって思うんですけれども、33の大人ムーミンを応援するのもなかなか楽しいものであります。

ということで明朝4時15分ロータスE21たんラウンチ!たぶん8時くらいにおふとんの中で見ます!(`・ω・´)

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