「Kimi」カテゴリーアーカイブ

ロビンくん洗礼式

キミたんのウキウキ子育てライフがこんなにどオープンかつリアルタイムに展開されていくとは思ってなかったのでw若干戸惑っています。

ほらなんていうかJenniちゃんは出したがり出たがりじゃなかったじゃないですか…年に1回くらいのちょろっとパパラッチ画像で成長をぼんやり感じながら、12-13歳でなんかの大会に出場したのがバレる的な妄想を昔から勝手にしてたからさ…

元気に育っていてなによりですー。が、しかし、なんか、キミたん的にはこのどオープン加減でいいのか心配になるよwこっちが不安になるからもうちょっと隠してくれていいんですよ!
Robin Ace Matias Raikkonen

※抄訳です。

・イースターに洗礼(命名)式をした。とはいえスイスでは生まれる前に子供に名前をつけておくものなのでそれよりずっと前に決まってた
・まず名字との組み合わせのよさはもちろん、外国でも発音してもらいやすい名前がいいと思って考えた
・”Robin”はミントゥちゃんが考えてキミたんもいいねって賛成した(? ←このニュアンスであってます?)
・ゴッドファーザーのジーノさんが”Ace”とつけた。フェラーリのみんなにもこの子はAceって呼ばれている
・命名について考えてたとき、ジーノさんはこんなことを言った: Aceと聞いたらKissのギタリストが浮かぶし、Icemanは最もクールなスポーツマンだからその子どもも凡庸な名前であってはならない。AcemanはIcemanの息子として、ライコネンの氏とともにクールなDNAを引き継いでいくんだぜ
・Matiasはキミのセカンドネームから。

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赤ちゃんマジ可愛い最高。’’To have a child is the greatest thing in the world”

ひゅるFつながりでフォローしてる子のツイッターで知りました。感謝ー。Turun Sanomatクルタさんの記事です。

– The main thing is, the boy is healthy, and the mother is healthy. The baby is still such a little, but for me it is the finest thing in the world, and I am so happy everything has gone so well.

こんなことを話すキミたんが見られて本当によかったなー。

Raikkonen:To have a child is the greatest thing in the world

金曜日、プレシーズンテストのさなか、キミ・ライコネンはオフだったが、カタロニアサーキットのパドックに現れた。表情を見れば、F1最年長35歳の彼の機嫌はよく、何もかもがうまくいっているということがわかった。
ライコネンはTS紙のインタビューのためにやってきたが、フィンランドの知人達に会いフォーミュラ4のマシンを見るためにサーキット近くにあるKoiranen GPのファクトリーにも訪れていた。
約束の時間ぴったりに、フェラーリの広報担当の一人 Nicoletta Baffoniがフェラーリのモーターホームにライコネンを連れてきた。

ライコネンは、1月27日に息子ロビンの父親となった。
昨秋のベルギーでインタビューをした際に、もうすぐ父親になるのはどんな気持ちかと私が質問すると、彼は溜め息をつき、世界がすっかり変わってしまうようなことにはならないと思っていると話していた。

さあ、今はどうだろう?世界ががらっと変わってしまっただろうか?
KR:そうだな、まったく未体験のことで、完璧に馴染むことができたとはまだ言えないけど。でも最も素晴らしいことだし、この先、大きな喜びをもっとたくさん味わうんだろうなと思うよ。もちろん何もかもが新しいことで、テストやファクトリーでの作業があるから、家で過ごせる時間が多くはないんだけど。
一番大事なのは、子供が健康で、母親も健康だってこと。赤ちゃんはすごく小さいけど、僕にとっては世界で一番大切な存在だ。これまでのことが何もかもうまくいって、とても嬉しい。

レースに臨むにあたって気持ちに違いはあるだろうか?家族が増えた今となって。
子供が生まれてからレースはしてないけど。
キミは満面の笑みを浮かべながら続けた。
KR:でも、もちろん、かなり大きく変わるだろうな。

キミの兄ラミに長男が生まれた時、彼らの父親であるマッティは、病院に小さなゴーカートを贈り物として持ってきた。しかし、プレゼントを持ってきてくれるおじいちゃんはもういない。

–でも、もう彼のためのミニサイズのクロスバイクがあるんだ。僕らのモトクロスチームの代表Antti Pyrhonenが(赤ちゃんが生まれて)すぐ写真を送ってきて、息子にどんなクロスバイクが欲しいか聞いてきてさ。

自身のドライビングのキャリアを小さなクロスバイクでスタートしたライコネンは微笑んだ。
彼はIceOneというモトクロスチームを保有しており、世界選手権シリーズのMXGPをダブル優勝で飾って今シーズンをスタートしている。
フィンランド人レースドライバーの息子達は、ドライバーへの道を歩んでいる者も多い。ライコネンもその伝統を避けられないのではないだろうか。

–息子がやりたいことに意見するつもりはない。彼は自分自身で決断することが出来る。何が一番好きかってことを。もちろん僕達は、どんなことも強制しないつもりだ。僕としてはただ、パドックの住人(訳注:おそらく、メディア関係者!)にならないでくれたらいいなって。ええと、将来、レースを見るために彼をパドックに連れてくるのはいいんだけど。レーシングドライバーとして彼を助けるためになら、僕がここに戻ってくる必要が生じても構わないと思う。
–彼がどうなるか、それは時間がたてばわかる。彼が幸せで、やりたいことをやっているということが、僕達にとって大事なことだ。
ライコネンはフェラーリと今年一年の契約があり、チームは2016年のオプションも持っている。

F1キャリアを満足のうちに終えたら何をするか、考えたことはあるだろうか?
–ただ家族と過ごすだろうなと思う。それ以上のことは考えてない。実は引退した後のことを考えたことはあまりないんだけど、自分にはそれで十分だと思っている。

ドライビングをきっぱりやめてしまえると?
–もちろんできるさ。F1に長い間関わりたいというような気持ちもないし、それは僕の人生じゃないと思う。家で過ごす生活は、本当にただ普通の人生だ。F1を自分の仕事としてやっているし大好きだけれど、生涯をかけるようなことじゃないと思ってる。適切なタイミングだと感じている間は、悔いを残して去ることはできないけど。

ライコネンは去年と比べて格段に良いシーズン開幕を迎えようとしている。

チーム内の雰囲気はどうだろうか?ロータスに君が来た時と同じような感じ?
–もちろん、フェラーリは去年と比べて格段によくなっている。みんなにとって、物事がやりやすくなった。良くなったことは、そうだな、同じ方向を目指してどうやって仕事を進めていくかというやり方かな。

セバスチャン・ベッテルはキャリアで一番好きなチームメイト?
–もちろん、過去のチームメイトの中では一番うまくやれてる。今はこれ以上のことは言えないかな。この体制になってからあまり一緒に仕事してないし、話したりSMSもあまりしてないから。何日かしか一緒になってない。レースが始まれば話は別だけど。彼がここに来てくれたことはすごくいいことだと言える。

メルボルンで予選が終わった後はどうだろう?どちらが前になっても、二人の関係に影響があるだろうか?
そうは思わない。もちろん常にお互いに勝とうとベストを尽くすけど、今の僕達にとって一番大切なことは本当にふさわしい場所にチームを押し上げていくことだ。それがこのチームにいたいと思う強い要因。2位とか10位よりもっと上のポジションに行きたいけど。僕達フェラーリが再び勝てる日はやってくるさ!僕は他のどこにも行かないつもりだ。

Turun Sanomat, Melbourne
HEIKKI KULTA

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The First Time – with Ferrari’s Kimi Raikkonen

12月に下書きして、管理画面から閉め出されてポストしてなかったやつ。
どれだけ寝太郎なのか。

The First Time – with Ferrari’s Kimi Raikkonen

Q: 子供の頃のヒーローは?
Kimi Raikkonen: いなかった。

Q: 覚えている中で、初めて見たF1グランプリは?
KR: 年は分からないけど、ケケ・ロズベルグが乗ってた頃で、あとはハッキネンがレースしてた頃。母国の人がレースしてるのを見たらもちろん興味をもつよ。

Q: F1ドライバーになりたいと最初に思ったのは何歳のとき?
KR: 子供の頃はやりたいことがたくさんあった。F1で走ることは – 17歳で何勝かするまでは、可能なことだとは心から信じていなかった。

Q: レースカーでの初めての大事故はいつ?
KR: ザウバーでテストしてた時。初めてF1カーに乗った時だった!

Q: 最初のヘルメットカラーは?
KR: 白。既製品だった。

Q: カーレースでの初優勝はいつで、トロフィーはどんなのだった?
KR: 見当もつかない。でも小さかったと思う。家をひっくり返して探せば見つけられるんじゃないかな。

Q: 初めて運転したロードカーは?
KR: ラーダ。家の車だった。

Q: 住んでいた家は?
KR: もちろん、エスポーの実家。

Q: 学校の初日はどのくらい緊張した?
KR: 思い出せないけど、緊張したことはもちろん何度もある。学校もそう。

Q: 初めて作った料理は何?
KR: パスタか何かじゃないか。もちろん、全くもって複雑じゃないやつ。(笑)

Q: 朝、まず最初にすることは?
KR: 起きる!

Q: 初めてのF1シートを手に入れた後、最初にしたことは?
KR: 喜んだよ。前もってテストはしてたけど、シートがもらえるかは分からなかったから、ただ嬉しかったな。

Q: 初めて買ったレコードは?
KR: It was a Guns N’ Roses cassette.

Q: 最初に取り組んだスポーツは?
KR: おそらくアイスホッケーだと思う。フィンランド人の男の子は誰でも、子供時代のどこかでアイスホッケーをやると思うよ。朝、練習のために早起きしなくちゃいけないからやめた。早起きは僕には向いてなかった。

Q: ファーストキスは?
KR: Hah! 分からないな、学校に通ってた頃だとは思うけど。もう20年以上前の話だから…

Q: 初めてファンにサインを求められたのはいつ?
KR: フォーミュラルノーの頃だと思う。

Q: シャンパンを初めて飲んだのはいつ?
KR: ヨーロッパでレースしてた時で、優勝した。

Q: フルーツ、チョコレート、どちらを先に食べたい?
KR: チョコレートに興味がある方じゃないからフルーツ。キャンディだったら話は別かもだけど…(笑)

Q: 赤ちゃんの頃、初めてしゃべった言葉は?
KR: 両親が教えてくれたはずだけど覚えてない。思い出すのって得意じゃないんだ。

この記事は12月で、翌月1/28にロビンくん生まれたわけですけどもね。3.7kg51cmね。
キミたんをちゃーのみなさんはまあとっくにご存知かと思いますが、ミントゥちゃんは公式ブログにて妊婦ライフに続きママライフをちょいちょいうpし続けております。なんだか…形容しがたい…この気持ちはなんーだろー(谷川俊太郎さん作詞「春に」のメロディで)
ちなみにJenniちゃんはフィンランドに戻ってきて、アイスホッケー選手のOssi Vaananenさんと交際中だそうで、雑誌の「カバンの中身みせてください」コーナーみたいのに出たりして相変わらずおキレイです。

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ミントゥちゃんが雑誌でキミたんとの生活を語り、私は好きになってしまったの巻!

開幕いっぱつめの記事がこれかいっていう感じですけどw増税のかけこみでMBAを買ったりレンズを買ったりひゅる君なハンドサインを作ったりしていました。たのしいw
https://twitter.com/fumi905/status/451919775690534913

キミたんのもつくったw
https://twitter.com/fumi905/status/452080107545325569

KRSのみなさんは相変わらずみんなが読みたいものを選んでくれるし仕事が早くて惚れ惚れ…♥️

ミントゥちゃん、誕生日パーティでブチ切れてみんなの前でキミとケンカしたりとかって記事が前に出ていたので、キレやすい人なんだろうかwとか、(オタクな)(熱心すぎる)ファンにはあんまりよく思われていなかったところがあったけれども、ちょっと男っぽいというかThis is how it is now的なところとか「誰かに完全に頼って生きて仕事やめるとか、正直ないわー」ってところとか、気が合うんだろうなーと思いました。この記事の時の彼女が、それっぽい人物像を演じてなければだけどね。でも素で気が合うんじゃないかなー。元ひとめぼれだった元妻Jenniちゃんとはちょっと違うタイプっぽい。共通の友達の紹介だっていうし!キミたんもべったりついて回られるのもあんまり好きじゃないっぽいし。

Source: Kimi Raikkosen avopuoliso Minttu Virtanen: “Etasuhteessa luottamuksen pitaa olla kunnossa”
translation courtesy of KRS Ville

Minttu Virtanen on life with Kimi

フライトアテンダントでありフィットネスモデルでもあるMinttu Virtanen(27)が、共通の友人によってキミ・ライコネン(34)に紹介されたのは、昨年の夏だった。二人の恋はすぐに始まった。速いペースの関係だった。11月にはMinttuはキミのヘルシンキ・Kaskisaariにある家に移ってきた。家の変化は圧倒的で大きなものだった。それまでMinttuは34平米の家に住んでいて、キミのKaskisaariの家は500平米だった。「大きな家に一人でいることに、最初のころは神経質になってた。仕事から帰ってくると、誰もいないかどうか、全部の部屋をチェックした。自分は風景をみて称賛するようなタイプの人間じゃないと思っていたけど、ただ座って海を眺めているとどんなにかリラックスするか、気付いたの」

彼女はキミのその家に少しの新鮮なデコレーションを持ち込んだが、大きなことは何もしていない。「あの家は既にとても美しく整えられていていたし、私は家を飾りたてることに熱心な人間じゃないから。愛してる人の近くにいられれば、住んでいる場所はどうでもいい。今キミとこの関係にあって、自分はいるべき場所(right place)にいるんだって感じてる」

The loneliness strikes when spending the night alone.

大きな家に続いて彼女が慣れなくてはいけなかったことは、一年をF1カレンダーに沿って過ごすことだった。Minttuは彼女の雇用主であるFlyBeが、彼女の人生の新しい状況に対して、フレキシブルな対応をしてくれると信頼を置いている。「私達はF1カレンダーと生きている。出来る限りキミをサポートできるように、自分のタイムテーブルを調整しようとトライしているわ。少なくとも今は、休暇のリクエストは受け入れてもらえている」

二人ともが世界中を回り、遠距離の関係はすばやく有名になった。しかしその真実は、毎日二人が一緒にいることは不可能ということだった。彼らはインターネットや携帯電話を使って繋がる。「遠距離で関係を続けるには、お互いを理解することと信頼することが一番大切なことだと思う。仕事をしているときはそれ(キミと一緒にいられないこと)に対処するのは楽になる。他に考えることがたくさんあるから。でも、家でひとりの夜を過ごしているときは、寂しさが一気に襲ってきて悲しくなるの。そういうときは、未来のこととか、こういう状況は永遠に続くわけじゃないって考えて自分を励ましてる。今はこんな状況であることは変わらない(This is how it is now)んだけど、いつかは変わるだろうから」

Minttuは一年にも満たない期間で多くのことが起こってきたと認めているが、生活のルーティンは変わっていないと話した。「新しいことや楽しいことが増えたけど、私の人生はめちゃくちゃに変わってはいない。私の生活、仕事、友達はここフィンランドにある。キミと、世界を回らなくてはいけない彼のキャリアのためだけに、自分の仕事や自立している状況を諦めることはしないつもり。何もかもを誰かに依存して生きることは奇妙な感じがするだろうと思う。私にとっては、自分自身のことをやっていくというのが重要なの」

LIFE AND LIFE-LONG BAN FOR CANDY

Minttuは「自分のこと」に多くの時間を費やしている。彼女にはフライトアテンダントとしてのキャリアがあるが、Bealiveのフィットネスモデルの顔も持っている。スポーツは彼女の情熱を傾ける対象であり、たくさんの経験があったことだろう。Minttuはパーソナルトレーナーとしての教育を受け始めており、この秋には資格を取得する予定である。「どれが自分の主な仕事になるかわからないけど、少なくとも、自分ができることで、世界を回れるようなことだろうなと思っているの。(パーソナルトレーナーの資格をとるためにやっていることは)自分自身のトレーニングにも生かせるし、キミの計画も立てられるようになると思う。彼はOKだねと言ってくれている」

Minttuはキミと出会ったことで、レーシングドライバー達に対する考えが変わったという。「車を運転してサーキットを回るのはスポーツじゃないって言う人達に、以前は私も賛成してた。あの速さや、レーシングを間近で見るまで、肉体的に求められることがどんなに大きいのか、信じられなかったの。猛烈なレース中の暑さは言うまでもなく、あの速さの中でシートに留まっているためだけにでも、レーシングドライバーには素晴らしいボディコントロールとフィットネスが要求される。レーシングというこのスポーツに対する考えは完全に変わって、今はドライバー達に大きな尊敬を抱いてる」

Minttuはトレーニングへの活発な集中を楽しんでいる。主な活動はランニングをしたり、カスタムメイドのプログラムをジムでこなすことだ。「細く見えるためだけに、生活に気を付けたりエクササイズをしたことはない。筋肉のついた体の方がより健康だし、見た目も美しいと思う」

キミのスイスの家にはジムがあるが、二人がヘルシンキにいるときはKaskisaariの自宅の近くにあるプライベートジムでトレーニングをしている。「トレーニングは私の人生において不可欠なもの。精神面の健康にもとても大切なの。トレーニングを終えた後のような気持ちになれるようなことって、他には少ないと思う。スポーツをする時間がもし私になかったら、何もかもに影響が出ると思う。疲れやすくなって、怒りっぽくなって、食事もちゃんとできないでしょうね」

食事に関して、Minttuは弱点をもっている。「私達は、家には甘いお菓子を置いておけないの。甘いものについては、私はコントロールがきかなくなっちゃう!」ひとりで家にいるとき、Minttuはサラダ、チキン、野菜といったかんたんな食事を作る。キミが自宅にいるときは、キミも料理をしたり、寿司やステーキを食べに出かけたりする。「自宅を整えてきれいにしておくのは好きだけど、料理はあまりしないの」

LOVE FOR KIMI

彼らは2013年の夏に恋に落ちた。Minttuはパドックで目撃されてきている。「キミの静かなところに私は影響を受けた。彼はみんなのことを思いやるという素晴らしい習慣を持っているの。彼のパーソナリティは、美しい特徴でいっぱい」

スーパースターであることは、キミの中にMinttuが見つけられないものだ。「私が彼を好きになったのは、彼の持っている普通っぽいところからなの。それに彼はものすごく面白いのよ」
 

(Source: menaiset.fi, translation courtesy of KRS Ville
Kimi Raikkosen avopuoliso Minttu Virtanen: “Etasuhteessa luottamuksen pitaa olla kunnossa”)

フィンランドのタブロイド紙SeiskaはヘリコプターでKaskisaariの自宅を偵察した!Seiskaは、庭でリノベーションが進められており、キミは新しく20万ユーロのAudi RSを買ったと報じている。

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デビッド・ロバートソンさんが亡くなりました

癌で闘病中と伝えられていたマネージャーaka「ロバートソン親子」のパパの方、デビッドさんが70歳で亡くなられたそうです。
なぜかユーロスポーツフランスくらいしか載ってるサイトないけど。

うまいこと乗せてくれたおかげでキミたんと会えました、本当にありがとうデビッドさん。RIP

Décès de David Robertson

ジェイビーにとってはつらい年だね。。。

続きを読む デビッド・ロバートソンさんが亡くなりました

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サンタのお友達がやってきた!キミたんマラネロ訪問&レースエンジニア決定

うひょーちゃんと立ってる…よかったお(;ω;)教会コンサートデート?の写真も座ってたしさーちょっと心配してたけどよかった!(そしてミントゥちゃんとは終わったのか…?しかしほんとブルネット好きね)

Spagnoloってなんて読むんでしょうかー。アントニオ呼びでいっか。とりあえず決まったっぽいのでひとあんしんだけど、スレイドさんとのお別れもconfirmedされてしまった。ロータスに残るのかな、スレイドさん…。キミたんに電話でお願いされるまでは、もうF1の現場では働いてなくて、たしかメルセデスのファクトリーで働いてたと思ったので、また内勤のしごとに戻るかもしれませんね。

A friend of Santa’s comes down from the North

Maranello, 17 December – サンタクロースの後に来るのは? 12月25日に続くホリデーは新年の始まりですが、マラネロでは何もかもが早めに起こります。それは失われることのできないもの、時間のために。スクーデリアのドライバー達がサンタクロースに扮した週末を終え、今日は世界中の子ども達から愛されているサンタクロースと同じ国、フィンランドの北部からやってきた人物が、少し早めの新年の気分を運んできました。

今日マラネロで、(サンタと同じ)フィンランドの住民キミ・ライコネンが、ステファノ・ドメニカリ、および上級エンジニアたちと面会しました。2014カーのデザインを下見したり、あと何週かで再びチームメイトになる、古い友人達と再会する機会でした。その中には来シーズンにレースエンジニアを務める予定のAntonio Spagnoloも含まれていました。

Kimi Raikkonen’s Ferrari engineer confirmed

フェラーリは、Antonio Spagnoloが2014年にライコネンのレースエンジニアを務める予定だと認めた。
(中略)
Spagnoloは、元シューマッハ担当でタイトルを獲った2007年のクリス・ダイヤー、2008年からのアンドレア・ステラに続き、フェラーリでライコネンを担当する三人目のレースエンジニアになる。

ステラは現在アロンソを担当しており、ダイヤーは2010年にチームを去っているため、元ミナルディでフェラーリには2005年に加わったSpagnoloがライコネンと働くこととなった。Spagnoloは2013年にはアロンソのエンジニアリングチームで働いていた。

ライコネンは2014年のフェラーリのマシンを、1月28日に始まるへレステストでドライブする予定だ。

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#GetWellSoonKimi 手術ぶじ終わったようです

詳しいことはわかりませんが、とりあえず無事におわったみたいです。よかった(;ω;)

Mattiさんの写真がfbに上がってて、パパが絶対守ってくれるって信じてたお(;ω;)
Paulaママ、ミントゥちゃん、看病たのむお(;ω;)
JustusくんTitusくんおじさんのお見舞いにいくよね(*´д`)
トニさんもゴッドチャイルドのLuukasくんもいくよね(*´д`)

Räikkösen leikkaus sujui ongelmitta
14.11.   22:51:37
ライコネンの手術は無事成功
・すぐにリハビリを開始する。

・4-6週間後に軽いトレーニングをスタートする予定。

Leikkaus tänään: “Kimi ei ole pystynyt nukkumaan kunnolla”
Torstai 14.11.2013 klo 09.37
ロバートソンさん談
・2001年のマニクールテスト以来痛みを感じることがあって、2010年にも手術を受けている
・腰(lower back)の神経に問題がある
・術後は1日か2日入院して、4週間の安静
・以前の手術の経験から、4週間は何もできないと考えてる
・一番大切なことは手術後にできる限り長く休むこと

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キミたんの2013年終了→14日に手術!

なんとwwwww
昨日、新しいおうちでtwitter開いたらこんなことになってて超ビックリしました!

■一連の流れ
11/7(木)フェラーリでシート合わせ
11/8(金)ロータス、アメリカGPプレビューをリリース
11/9(土)ブーリエさんに欠場の電話
11/10(日)公式発表
11/14(木)手術@ザルツブルグ

シート合わせから急すぎやしないか…w
最初大人のryかと思ったんですけど、キミたん広報紙Turun Sanomatのヘイキ・クルタさんによれば「鎮痛剤がないとちゃんと眠れない」とか書いてあって結構心配です。
右手の神経の時のことは知らないのですが、これまでのキミたんの手術といえば、

・2005年末「膝手術した★」→後日発表
Akiさんの執刀で、Jenniちゃんの誕生日パーティがノンアルコールだったっていう記事が出た
・2010年3月「実は先週ヘルニアの手術した★」
2月末がレーザー手術の二回目だったことをラリーメキシコのプレビューで白状

と、ずっと後日発表だったので、こんな風に手術日がわかっててなんだか心配…って状況は初めてでちょっとドキドキしています。知ってたってなにもできないんだけど。
痛くて眠れないような痛み、早くよくなりますように。そして手術がうまくいきますように…(;人;)

では順を追ってみていきたいと思います
まず11/8(金)に、フェラーリでシート合わせしたニュースがぺろっと出てたんですおね

Raikkonen has Ferrari seat fitting

キミ・ライコネンは来シーズンの復帰に向けてシート合わせのためにフェラーリを訪れた。

彼は木曜日に、新車のための計測を行い、チーム代表のステファノ・ドメニカリと面会した。2009年末のラストドライブ以来、マラネロを訪れるのは初めてだった。

2014年にチームメイトとなるフェルナンド・アロンソは、先週のアブダビGPで負った背中のダメージからの回復中である。5位争い中にベルニュを避けようと縁石の上で跳ねたことによる不快な症状はまだ続いている。アロンソはこの週にいくつか検査を行い、怪我の症状はみられなかったが、痛みを和らげるために抗炎症の錠剤を服用している。

アロンソはアメリカGPに出場できるとフェラーリは見込んでいるが、テキサスへ渡る前の火曜日に最終検査を受ける予定だ。
ライコネンのシート合わせでは、サイズと重さに関して、彼はアロンソとほとんど同一であったことが明らかにされている。

この記事で一番大事なのは「木曜日にシート合わせをした。眉様はアブダビのケガがまだちょっと痛い」ってことだと思うんですが、

ライコネンのシート合わせでは、サイズと重さに関して、彼はアロンソとほとんど同一であったことが明らかにされている。

↑どうしてもここに注目せざるを得ません…まじなの、まじなんですか

そして11/10にTurun Sanomatのヘイキ・クルタさんによる一報(英語版)

The backsurgery ends up Kimi’s season

来週火曜日に背中の手術を受けるため、アメリカとブラジルを欠場する。
ライコネンは長い間、背中に問題を抱えていた。9月のシンガポールGPのプラクティス中にその痛みはかなり悪化し、コルチゾン注射をしなければ予選とレースには参加できなかった。
一週間前のアブダビGPを終えて、キミの背中の状態は更に悪くなっていた。彼は鎮痛剤なしではきちんと眠ることができていない。

「専門家は手術を勧めてきており、ザルツブルグで来週の木曜日に行われることになった」と彼のマネージャーのスティーブ・ロバートソンがTurun Sanomatに明かした。

その手術の後は、キミは四週間の間何もできない。これは2013年シーズンはここで終わりということを意味する。

「もちろん、キミのF1復帰が成功した二年間のロータスとのシーズンをこのような形で終えることは失望だ。しかし、キミはこれ以上この手術を遅らせることはできない。今この問題を治しておくことが、健康面、そして2014年の準備を始めるために極めて重要である」とロバートソンは指摘した。

続けてTS紙、キミたんの直撃に成功した模様。
英語がアップされてないのでぐぐる先生のご尽力による意訳ですと↓以下のような内容っぽいです。2010年8月の手術とか知りませんでしたし

“En pysty edes ajattelemaan nousemista autoon”

・二年目のシーズン、3位を争っている状況でドライブできないこと、そしてロータスを助けられないことにがっくりきている。
・続けたかったけど痛みがひどすぎて、F1カーに乗るとか考えられないくらい
・一番いい解決法は今すぐに手術をすることで、このスケジュールなら来年には間に合う
・2010年の8月にもヘルニアの手術をしているらしい(クルタさん地の文) ←マジで?!
・背中が痛かったのは2001年のマニクールのテストでウオールに突っ込んでから(クルタさん地の文)
・スティーブ・ロバートソンによると「時々症状が出ていたが、ここ数日で激痛になり、鎮痛剤がないと眠れないような状況」

おおおおおおおおおうマジかお(;ω;)
日曜日にエリック・ブーリエと話したAndrew Benson氏(BBC)によれば、
「キミは昨夜(土曜日)、背中の状態が悪いので残り2戦を欠場すると電話してきた」そうで。

急なお知らせですみませんでしたです…

Official Press Release

キミ・ライコネンは今週背中の手術を受けることになり、術後四週間の安静が必要となるため、アメリカGPとブラジルGPを欠場します。
キミは先日のシンガポールGPにて背中の問題で苦しみました。この症状が再発し、将来の妨げにならないよう、また確実にフル・コンディションで2014年シーズンに臨めるように、手術を受けざるを得なくなりました。
キミとマネジメントチームは、ドライバーズチャンピオンシップ3位を共に戦ってきたロータスF1チームとの2013年シーズンをフィニッシュすることができず、悲しんでいます。
ニュースが出てからたくさんのメッセージを寄せてくれたファンのみなさん全員に感謝します。

ロータスとのお別れがまさかこんな形になるとは思わなかったなぁ…
ネタにして弄りまくってくれたこととか、好き放題にさせてくれたこと、未払いの問題はあったけれど、その状況でもキミが「小さいチームだけど雰囲気がいいしみんなレース屋だから楽しい」って幾度となく話していたことに嘘はなかったと思うので、なんと言ったらいいかわかりません。

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続・キミたんザウバーものがたり

前回に続き、エニグマさんがキミたんのザウバー時代のレースエンジニア、Jacky Eeckelaertさんにインタビューしているシリーズです。今回はトレーニングを二倍がんばるキミたん、テストでもやる気が大バクハツ、メルボルン寝太郎、しびれるきめぜりふ(?)と盛りだくさんウハウハで、読んでてよだれが出そうでした!まじ本当エニグマさんありがとうございます。1月→5月ときたので次は9月あたりに期待しています…枕からオファーがきたときのこととかおねがいしますジャッキーさん!

Kimi’s first race

前回(前回)はキミのデビューチーム、ザウバーで彼のレースエンジニアをしていたJacky Eeckelaertから素晴らしい話を聞くことができた。 今回は、初めてのテストからデビューレースまで、どのように事態が進展していったのかを聞くため、再びジャッキーを訪ねた。

「キミとの初テストを終えて、私達は次のテストを行った。その時はレッドブルがザウバーをスポンサードしており、ディートリッヒ・マテシッツが、エンリケ・ベルノルディとサインするようチームに圧力をかけてきていた。ベルノルディは非常に速いドライバーだったが、私はキミの中に、速さだけでなく強い決意があるのを感じていた。ベルノルディよりはキミが加入する方がより良いだろうと考えていた。
そのため、私達はムジェロで、キミとベルノルディのテストを行った。ラップタイムは似たようなものだったが、計測ラップを10周するスティントを指示したときに、既に違いを感じ取ることができた。エンリケは数周後に一貫性を欠き始めたが、キミはあたかも時計のように走った。それを見て、どちらのドライバーを選ぶかは明確になった」

ザウバーはキミを選択した。そこで次の計画は、彼に多くのマイレージを経験させることだった。

「F1で勝つためには20分とか30分ドライブすればいいというわけではない。カートやフォーミュラ・ルノーとは違って、F1レースは少なくとも1.5時間以上続く。あの時は給油を行っていたため、彼にはピットストップまでに必要な20周を走ることへの準備をさせるというアイディアだった。この20周に取り組み続けること、冬の間に私達が集中しなければならなかったのはそれだった。
そこでキミは冬の間に、F1ドライバーのフィットネスレベルに到達するため、集中的なトレーニングプログラムに着手した。その期間中に、キミは再び決意の強さを見せてくれた。チームは彼にプログラムを与えたが、評価してみると、私達が彼に要求した量の少なくとも二倍の量をこなしたのは明らかだった」

1月のテスト中、キミは再びチームを感銘させることになったとジャッキーは説明する。

「テスト期間は午後5時までとなっているが、それより45分も早く予定が完了してしまったこともあった。(プログラムが終わると)大多数のドライバー達は他の活動をしにモーターホームへ戻ったが、キミは違っていた。彼は戻ってきて”もう一回ロングランをやれる?”と聞いてきたんだ。フィジカルの面で、キミは非常に短期間の間に強さを増していた。たくさんのことを学び、彼が興味をもっていたのは勝つことだけだった」

キミ・ライコネンのF1デビューは2001年のオーストラリアGPだった。初めての予選で彼は、チームメイトのニック・ハイドフェルドからたった3つ後ろの、13番グリッドを獲得した。いいスタートだった。
レース前、そろそろピットレーンオープンという頃、クルマをグリッドに送り出すまであと15分。その5分前に、チームはガレージに現れないキミを探していた。

「ピットレーンのサインがグリーンになるまであと5分というところになっても、キミはガレージに現れない。どこにもいなかったんだ! そこで私達はモーターホームに探しに行って、眠っている彼を見つけた。彼のリラックスする方法だったんだ、F1のデビューレースであっても! “なに? もう始まるの? いま行く、いま行くよ[What? Is it now already? I’m coming, I’m coming]”と言ったのを覚えている。彼は全てを完璧にコントロールしていたんだ。
レース前に、私は彼にアドバイスをした。最後のラップまでプッシュし続けろと。ポイント圏外であっても、プッシュし続けるのはとても大切なことだと。どのパーツに問題があるのか、再設計が必要なのかを知るためにレース後にクルマを分解してチェックを行うからだ。次のレースに向けて全てをスムーズにするために、クルマをコンスタントなプレッシャーの下に保たなければならない。あと数周というところで壊れてしまうパーツは、再設計される必要があるからだ」

キミは初レースをハインツ-ハラルド・フレンツェンに続く7位でフィニッシュした。しかし黄旗中のオーバーテイクによってオリビエ・パニスとヨス・フェルスタッペンに25秒加算ペナルティが下された。パニスはキミより前の4位でフィニッシュしていたため、キミは6位に繰り上がった。キミは、グランプリデビュー戦でポイントを獲得した数少ないドライバーのひとりになったのだ。

「ペナルティが適用されて順位が繰り上がったのは、彼がきちんと最後までプッシュし続けて、差を縮めていたからだ。レースが終わった後、私は彼に”デビュー戦でポイントを獲得したね、どんな気分だ?”と聞いたんだ。彼は無表情で私の方をみてこう返答したよ。”(優勝まで)あと5つだ[another 5 to beat]”とね」

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Q&A with Kimi Raikkonen

ヘイキ・クルタさんがTurun Sanomatで書いているブログ上でキミたんへの質問を募集していたのですが、Q&A記事としてアップされてたのを更に英訳してくれた神がいました!
モナコすぺさるメットくるー?!あとはSCのときの質問がスゴイなーと思った。ドライバーに質問!ってたまに色んな企画でやっているけど、ふむふむって質問をちゃんと考えるファンがスゴイよね。むしろ。私なんてせいぜい「ニコロズくんとはお互いに何て呼び合っていますか」だの「ボウリングはうまくなりましたか」だの、所詮ミーハー発想だから、今回のSCの質問やギアボックスの質問はキミたんの回答もへぇーって感じで面白かったです!

Q&A with Kimi Raikkonen

Original: Ja vastaus on by Heikki Kulta

Q: 仕事(work)か楽しみ(enjoyment)、F1をどちらと捉えていますか。
Kimi: 楽しんでいなければ、(F1ではない)他のどこかにいるだろうさ。でももちろん、仕事としての側面も多くある。まあとにかく、いつもこんな感じでやってきている。50%-50%だし、楽しいと感じる限り、F1をやるのが好きだ。

Q: シーズンが進むにつれて、ベッテル/アロンソよりも少ないピットストップができるようになってきていませんか?
Kimi: レースによる。もちろんみんな、タイヤについて徐々に学んできている。でも、あるトラックであるコンパウンドが持ち込まれたとき、僕達にはそれができるのかもしれない。でも、あらかじめそう言い切ることは不可能だ。

Q: E21はセットアップの面でとても敏感のように見えます。特に予選で。
Kimi: E21は、過去に乗ってきたクルマとは違わないよって言えると思う。こういう側面が多少なりとも過去のクルマにもあった。それほど違いはなくて、速く走るためにはパーフェクトなバランスが必要だってこと。セットアップに対して正確に反応するクルマもあるし、速く走るためのセットアップが難しいクルマもあるんだ。

Q: RBRからの契約はオファーされたのでしょうか? 同意したのですか?
Kimi: ノー。レッドブルからの契約はオファーされていない。

Q: レース中にプレッシャーがかかっていると感じたのは最近だといつですか?
Kimi: もちろん常にいくらかのプレッシャーはあるよ。でも、自分にプレッシャーをかけるのは僕自身だ。特別なことなんかじゃない。レースがあれば、タイヤは大きく磨耗していくと知っている。スティントの終盤には(挙動が)ラフになって、その頃には少し苦しいと感じる。でも、それほどハードなプレッシャーじゃない。

Q: ジェームズ・アリソンのロータス離脱をどう思いますか?
Kimi: もちろん、出て行ってしまう人達みんなをできれば引き止めたいけど、でもこれがF1だ。明日何が起こるのかは誰にもわからない。エンストンにはまだ、いいメンバーがいる。彼の離脱が来週、来年になって影響してくるのか、それとも何の影響もないのか、言いきることは不可能だ。

Q: 来年フェラーリに移籍してフェルナンドと一緒に走るのはどうでしょう?
Kimi: 原則としてそれは気にしない。誰と同じチームになるかということ(を重点において)で決断はしないよ。

Q: 経験に基づいて、自分のドライビングやF1に対するアプローチが最近変わったなと感じていますか? いまはより賢くなった(wiser)と思いますか?
Kimi: レースのあるエリアにおいては経験が役立っていると思う。たとえば、あるサーキットにおいて、どんな風にクルマをセットアップしていけばいいのかということ。基本的なディテールやより注視しなければいけないことは何なのかとか、いくつかのアイディアを知っているから。

Q: たくさんのクールなデザインのヘルメットを使っていますね。純粋にアートとしての美しさの観点から、そして付随する感情を除いて、これまでのデザインで一番気に入ったものはどれですか?
Kimi: 一番気に入っている特定のデザインというのはないんだ。どれも違ったところがあって、とてもいいものもある。でも、どれか一つ他よりもいいというものは僕にとってはない。次のデザインをみんな気に入ってくれるといい。

Q: SCのリスタートでやり遂げようとトライしていることはありますか? そのときのストラテジーについて少し教えてもらえますか? 後ろにいるドライバー達を集団にしておこうとか、前のドライバーについていこうとか、後ろに対してのバッファを作ろうとか。
Kimi: リスタートの後のストレートで、タイヤとブレーキがちゃんと動作するようにしておくことに集中しているかな。これが一番の問題になるから。もちろん、SCのすぐ後ろにはできるだけ近くなりたいけどね。[Of course I want to be as close as possible behind the safety car.] ※ラップリーダーになりたいけどねってことですかね

Q: マクラーレンにいた頃のダブルクラッチから現在のシームレスまで、ギアボックスはあなたのキャリアの間で相当な進歩がありました。ドライバーとして、ドライビングしているときのギアボックスの違いはどれほどあるのでしょうか?
Kimi: もっと下位のフォーミュラではギアボックスの違いというのは大きかったけど、僕にとっては2005年からそれほど大きく変わってはいないような感じがする。ドライバーには違いがそれほどないと言えると思う。

Q: ヘルメットをかぶっている時以外はオークリーのサングラスをいつもかけているのはどうしてですか? スタイルの問題だけ? あるいは、視界の保護についてかなり気にしているのでしょうか?
Kimi: 僕はオークリーと契約してるからね。でももちろん、サングラスをかけるのが好きなんだ。目がかなり敏感だし。

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What KIMI is really like

GP InternationalのAlan Permaneさんとスレイドさんへのインタビュー記事です。無料でネットにあがってるところだけ。スレイドさんの妙に壮大な分析がちょっと面白いです。

ちうごくGPはWeiboでも追いかけてます↓
http://weibo.com/fumi905/

What KIMI is really like

GP International issue April
GPI: キミに会ってみて最初の印象はどんなものでしたか。特にあなた方がもっていたであろう先入観を考慮すると。
MS: (キミに初めて会ったのは)2001年の年末、クリスマスの少し前の頃だ。勿論私達は彼の華々しい登場に気付いたよ。モックアップが準備されているところに私が歩いて入っていくと、とても若く見えるブロンドの口数が少ない子が立っていた。でも、彼のことを知っていくうちに、このスポーツとドライビングに対する態度という観点では、彼はとても成熟していると気が付いたんだ。傍から見える姿はその下にいる人を偽ってみせている。彼は厳格で公平なものからできているようだったし、何年もF1をやっていたかのように知識があることもすぐにわかった。彼をしっかりと教育する必要はなかった。本当だ。
AP: 先入観を持たないようにするというのは難しいことだった。少しも持たないようにしようと気をつけたが、彼は話すのが好きではない、打ち解けない人物だというような話は聞こえてくる。しかし、技術的な面では、それは真実からは遠いと言わなくてはならないだろう。去年の1月にR30とデモラン用のタイヤでバレンシアを走ったときのことを私はよく覚えているんだ、素晴らしかった。私達のチームだけで、天候もよく、とてもリラックスした雰囲気で、ピレリの初めての感触を彼に味わってもらった。デモラン用のタイヤは実物とは大きく違っていてデグラデーションが激しかったけれども。それに、(2010年から給油が禁止されたので)重い燃料を積んで走るのも初めてだった。よって、彼にとっては大きな二つの違いがあったんだ。彼のフィードバックや要求は素晴らしくよかったよ。

GPI: 組織化されたマクラーレンやフェラーリを経てきたキミは、ロータスが完璧にフィットしているのでしょうか?
MS: 完璧に合っているかどうかはわからないが、ここ(ロータス)では彼の時間を多く求めないという事実、それが彼が好んでいることだと私は思うよ! でも、それ以上に彼が喜んでいるのは、チーム全体が本物のレース人で占められていて、他のことは二の次にして一生懸命仕事をしているところだと思う。私に何が言えるかな、慎重にならなければ! やりたいと望むことと、実際に起こることのリンクがよりダイレクトだと言えるだろう。その観点では(ロータスは)よりシャープだ。
AP: 正直なところ、よくわからない。彼がメディア対応の仕事を楽しんでいないことは明白だが、それは全チームがやらなければならない。我々も含めて。技術的な面では(フェラーリともマクラーレンとも)かなり似通っているだろうが、マーケティング的な面では、特にマクラーレンでのことを想像すると、ここでの仕事よりもすさまじいだろうね。

GPI: サーキットへ来てただ速く走ればよかった70年代や80年代の方を彼は好むだろうと思いますか?
MS: よくわからないが、人がそう考えてしまう理由はわかるよ。しかし彼が大切にしているのは一生懸命取り組んで速く走ること、ドライビングなんだ。それが最優先である環境には彼は合うと思う。
AP: おそらく。彼は非常に気楽で、それは素敵でもあり、時にはそれが少しフラストレーションになるときもある。テスト中、ドライブする時間の5分前にロックアップしてしまったときや、シートが合わないときのように。しかしキミを雇うなら、こういう類のことは受け入れて、彼がうまくやってくれるようにするんだ。よくない面は少なく、いい面は多い。

GPI: インタビューでは最小限のことしか話しませんが、彼は最も人気があるドライバーのひとりのようですね…
MS: 時代の精神に合う要素があると思う。人々はビジネスや政治、巨大な組織に関わるものに疑いをもつようになっている。そして彼はそれら全てに対するアンチテーゼだ。人は、彼がリフレッシュする変化だと考えている。彼はパッケージ化されてはいない。これがある類の人に対して訴えかけるのだろう。そしてそのような人々というのは自分の意見を声に出して言う傾向にある。彼はそんなニッチなマーケットに合っているのだと思う。彼がそうなろうとしているとは思わない。彼は自然にそんな風にやっていて、それが人々を惹きつけて離さないんだ。他人とは違う存在がいるのは、F1にとってはとてもいいことだと私は思う。全員がキミのようだったら、もちろんとても難しいことだろうけど…特別なことではないだろう。感銘を受けていない(不満な)ときそれを口にするのを恐れない、そして地に足の着いた人間がいるのはみんなにとってよいことだ。
AP: 彼が多くを語らないことと、ちょっと謎めいた人間であることが理由ではないかと思う。人々は彼についてもっと知りたいと思うんだ。私は単に、彼はプレスや外野と話すのが好きではないのだと思う。彼がシャイだとは言わない。この類のことをしない方が好きなだけだと思うよ。多くのメディア対応をすることを避けるひとつの方法は、彼がやっているようにすることだ。そうすればおそらく、人は多くを期待しないようになり、うんざりさせられることも減るだろう。

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GETTING CLOSE TO THE ICEMAN

キミたん名付け親フィーバーだなー。キミジュニア見たいけど当分の間は無理かしら(´・ω・` )
ハンナさん連絡乞う七国山!!!
Uffeさんの話は今年メット公開したときのコピペです。

RÄIKKÖNEN REVEALED – GETTING CLOSE TO THE ICEMAN [PART 1]

アイスマン – 2002年シーズンの初めにロン・デニスからつけられたこのニックネームは、2007年F1ワールドチャンピオン、キミ・ライコネンに完璧に合っている。このフィンランド人のスターは最もクールな男だろう…これまでのF1界において。15分以上、彼を動揺させたり、怒らせたり、喜ばせたりできるものは何もない。キミは何もかも忘れるのが早い。クールな性質は生まれつきだ。

キミの母パウラは、彼が一度、とてもナーバスになってクールな態度を失ったときのことを覚えている。彼はそのとき6歳だった。パウラは息子を定期健診に連れてきており、キミは母と医師が話している間、おもちゃが置いてあるコーナーで待たされていた。そこにはたくさんのおもちゃがあったが、キミは突然興奮し、指の爪を噛んで、とても神経質な行動をとり始めた。

「ドクターは、キミには集中力に関して問題があるかもしれないと考え始めたの。でもそれはおもちゃのせいだったのよ!
 その頃のキミはジグソーパズルが好きだったの。でも病院のおもちゃコーナーにあったジグソーパズルは簡単すぎると思ったみたい。彼はもっと年上の子、10歳から15歳くらい用のパズルを見つけたのだけど、手が届かなかったの。病院の助手は、これはもっと年上の子用だからと言ってキミに渡すのを断ったのよ。
 キミは難しいジグソーパズルを手に入れて、ピースを当てはめて、笑顔になったの。ドクターも笑っていたわ。この子の集中力については何の問題もないことが分かったって」
パウラは親のプライドをにじませた声で話した。

キミはその頃からドライブを学び、どんな状況でも集中力を失わず、レーシングでもピースを正しくはめていく名人になり始めた。パズルのピースをはめるのと同じように。

パウラは、キミの意思は常にすさまじく強かったと認める。
「キミは常に自分のやり方を通したの。一旦何かを決めたら、何をしたってキミの考えは変えられない。小さな子供だったころ、ごみの缶を外に出すみたいな家事を手伝わせたくて、キミはやりたくなさそうだったら、反対のことを言わなければならなかった。ごみの缶を外に出さないで、私がやるからって。そうすると大抵キミがやってくれるのよ」

彼の両親が、ワールドクラスのモータースポーツスターになる才能が息子にあると気付いたのはいつだったのだろうか?
「両親のように近いところにいる人は、こういうことはわからないものなの。私達が兆候に初めて気付いたのは、キミが10歳くらいの頃で、フィンランドのゴーカートでジュニアクラスに出始めたとき。ある参加者の父親が、カーナンバー104をつけて走っている子[キミ]は誰だ?と言い始めた。その人は自分の息子のメカニックをしていて、経験豊かだったの。この態度とスピードがあれば、高いレベルまで行けるかもしれないって。その人は正しかったわね」
とパウラは笑った。

キミの母は、息子の強さも分かっていた。
「いつだって勝ちたいという途轍もない意思と、絶対に諦めない姿勢。それがキミよ。レーシングを始めたときから、ホイールが回っている限りステアリングをきり続けてきた。彼の中には、フィンランドスタイルの粘り強いファイティング・スピリット、”sisu”があると思う」

キミがF1への復帰を決めたとき、パウラはどれほど驚いたのだろう?
「本当にびっくりしたのよ。キミはこちらから聞かない限り、私に仕事についての話はしないの。ウィリアムズと交渉しているという噂を聞いて、彼に聞いてみたのよ。そうしたらキミは、もっといいオプションだからロータスに行くだろうって答えた。
 サプライズだったわ。彼の友達は、キミはF1にとても疲れてやめたんだって私に話していたの。そうしたら突然復帰したんだもの。休みをとったことはキミにとってはとてもよかったと思う。レーシングを心からまた楽しんでいるみたいだものね」

家族や友人など、キミに近しい人間は、レースファンが見ているのとは全く違ったキミ・ライコネンを知っている。感情が乏しいだとか、ぶっきらぼうで乱暴だとかの印象からは程遠い。彼は人の世話を焼いたり、人の傍にいたり、家族の面倒をみたりするのが好きだ。

キミの兄ラミにはJustusとTiitusという二人の息子がいる。キミは兄Justusの名付け親でもあり、二人に絶えずプレゼントを持ってくる。
「子供たちは僕とキミみたいな関係なんだ。色んなやり方でお互いと競い合っている。キミはレーシングに関するものを二人にあげるのが好きで、この間のクリスマスにはタブレットを買ってくれたんだ。サンタクロースがくれたって言うべきかな」

現在は、ラミとキミとの関係はどのくらい近いのだろうか?
「キミは弟だ。兄弟同士のよくある関係だと思う。ほとんど毎週話をしているし、アイスホッケーや他のスポーツを一緒にする。でも僕達にはそれぞれ自分の仕事があって、それに時間を割いているんだ。特にキミは忙しいし、世界中を移動しているからね」

※ラミ兄ちゃんはラリー引退してからはファミリーマンだよーってキミたんが言ってたことがありましたが、いまは主夫じゃないのかなー

RÄIKKÖNEN REVEALED – GETTING CLOSE TO THE ICEMAN [PART 2]

Toni Vilander は10歳でレーシングを始めた頃からの、キミのとても親しい友人だ。二人は兵役でも一緒だった。
トニは2012年のFIA WECにて、GTEクラスのタイトルをフェラーリで獲得しており、とても経験豊かなGTレーサーだ。

「僕達は別の場所でレースをしているから、頻繁に会っているわけじゃないけど、この友情は永遠だと僕は思っている」

キミは、トニの息子Luukasの名付け親でもある。
二年間のブランクを経て、友人が首尾一貫したシーズンを送っているのは、トニにとってはサプライズだっただろうか?
「昨シーズンのパフォーマンスよりも、キミが復帰したことの方が驚いたよ。一旦やめたときは、F1にうんざりしていて、”もう二度とやらない”って言いっぱなしだったから。F1に関する全てのことから距離を置いて、ラリーのように全然違うことをやったのはいいことだと思う。考え方を変えたり、アプローチをより強くしていく方法だ。
 キミはキミなんだ。クルマの違いとか、タイヤとかルールの違いとか、そんなのは問題じゃない。ほんの何周か走れば、すぐにフロントランナー達のようなタイムを出してしまう。ロータスと契約した直後にやったようにね」

暢気な人間である、というキミのイメージは、ロータスF1チームでの1年目のシーズンでも見られる。2001年からキミと働いているフィジオ、マーク・アーノールは、このイメージが、キミがどれほどハードにトレーニングしているかということについて誤った印象を与えると主張している。
「レースをしているときは、彼はのんきなんかじゃない。彼はクルマが動いている限り戦い続けている。トレーニングでも同じだ。一緒に働き始めてから、彼はいつもそんな感じだった。プログラムが何であっても、常に110%の力を出している」

キミは(自分自身だけでなく)自分のトレーナーでさえもトップコンディションにいられるようにしている。
「キミはクリスマスに、フィンランドのSuunto社の最新型の心拍数モニターをくれたんだ」

トラック上でのキミの姿に大きなインプットを与えているのが、長年の友人 Uffe Tägtströmだ。レース界における主要なヘルメットデザイナーのひとりで、カート時代からキミのヘルメットをデザインしている。

ドライバーもデザインプロセスに大きく関与する。キミはどのくらい芸術的なのだろう?
「芸術的? 彼はとても芸術的だなんて僕は言わないよ。でも、彼は自分の希望をわかっているし、流行にも敏感だ。あの世代の人間って感じだよ」

キミは常に、ヘルメットデザインにおけるトレンドセッターだ。
「キミが自分のヘルメットに使ったものと同じようなアイディアが、他の誰かのヘルメットに現れるのにそれほど時間はかからない」

キミは全てのヘルメットを手元に置いてあり、デザインを見てシーズンを振り返る。
「新シーズンの前に、キミはどんなデザインにするか、ヒントをもって来るんだ。僕はコンピュータで5つの案を作って、一番気に入ったものを彼が選ぶ。去年はカーナンバーを入れたいというのが希望だった。マクラーレン時代にはナンバーを入れていたけど、ヘルメットの後部だった。今年は9から7に変わったけど、2013年用に大きな変更はない。新しいスポンサーが増えただけだ。
モナコのハントのアイディアは何年も前からあったんだ。でもマクラーレンとフェラーリでは使うチャンスがなかった。去年はパーフェクトだったし、反響も素晴らしかったよ」

今年のモナコはどんなデザインになるか、楽しみにしていよう。

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キミたんザウバーものがたり

@f1enigma さんが読んでネ★ってついったーで言ってた記事かな? 読みたかったのでうれしかったです(*´ω`)ニコール女神マジ女神。フィンランド語→ニコール女神→英語→オイラ→にほんご、です。

ペーターさんは最初キミたんをテストドライバー採用しようと考えていたみたいで、「いやいやこの子速いから!レースに出した方がいいって!」って進言したのが↓のインタビューで語っているレースエンジニアのJacky Eeckelaertさんだったよ、という話のようです。まじか。これからはキミたん関係で何か神がかり的にハッピーなことがあったとき、神様仏様Matti様パウラ様、ペーターさんロン兄貴、に加えてジャッキー様も追加して感謝しなければ…

How Kimi Raikkonen was discovered

original: Kisainsinööri muistelee: Näin Räikkönen löydettiin formula ykkösiin

キミ・ライコネンの最初のF1契約について、彼がどのようにザウバーにやってきたのか、エンジニアのJacky EeckelaertがMTV3に語った。Eeckelaertは2000年9月に行われたキミの初めてのテストでの担当エンジニアで、ザウバーでの2001年シーズンでもレースエンジニアを務めた。

ライコネンのF1テストは、トヨタへ行くミカ・サロの代わりをザウバーが探していた状況で行われた。Eeckelaertはスティーブ/デビッド・ロバートソン親子に、ジェンソン・バトンの契約について尋ねるために連絡を取った。バトンは2000年にウィリアムズからデビューしたが、2001年にJPモントーヤが加入するためにシートを失っていた。そのために、ザウバーはバトンがドライバーマーケットに出ているのかどうか、興味をもっていた。しかしバトンはブリアトーレ率いるルノーへ行ってしまった。ロバートソン親子はEeckelaertに、バトンの代わりにライコネンをオファーした。

ロバートソン親子は若かったライコネンのことをこのように説明した。「彼はジェンソン・バトンのようにとてもいい。でも別の個性を持っている。彼はとても強いキャラクターをもっている。資金が無い中でたくさんのことを自分でやってきたからだ。彼はとても集中している」

ザウバーは既に2001年シーズンへ向けてニック・ハイドフェルドと契約しており、彼は1シーズンのF1経験があった。ザウバーはルーキードライバーをチームに迎えることを考慮しており、そのため彼らはライコネンにF1テストをオファーした。それ以前にライコネンはフォーミュラルノーでのたった1年のフルシーズンしか経験がなかった。

ライコネンは2000年9月12日に行われた初めてのテストで、ザウバーC19に乗りムジェロを走った。Eeckelaertは特にライコネンの首がF1カーのGフォースにどれほど耐えられるかを考慮して、テスト序盤に3周の予選ラップを走らせた。休憩中にEecklaertとライコネンは、同日に行われたテストでのミカ・サロとPedro Dinizのテレメトリーと自分達のテレメトリーの比較を行った。ライコネンは初日に29周を走行し、Dinizのタイムから2.5秒遅れだった。しかしEeckelaertは、何もかもが素早く動く状況にライコネンの脳が一旦適応してしまえば、速さの進化がみられるだろうということを確信していた。

テスト2日目でライコネンは40周を走破し、タイムを1.27,130まで上げてきていた。これは初日のタイム1.30,008から考えると、チームが予測していたよりも明らかに大きな前進だった。テレメトリーを分析すると、ライコネンは新しいブレーキングポイントと、コーナー侵入での正しい角度を見つけていた。

3日間のテスト中に、フェラーリのミハエル・シューマッハもムジェロをドライブしていた。

Eeckelaertは振り返る。「もちろんシューマッハはこの質問をするためにザウバーに立ち寄った。あのドライバーは誰だ、君達がテストしているのは誰だ? とね。彼はキミ・ライコネンだ、と私が答えたとき、彼は速くなるぞ、とシューマッハは言った」

ペーター・ザウバーは当初、ライコネンをテストドライバーとして雇用しようと考えていた。しかしEeckelaertはザウバーに、このフィンランド人をレースドライバーとして獲得するよう進言した。3日間のテストで、ライコネンには非常に才能があり速いドライバーだということが明らかとなっていた。しかし彼の肉体的なコンディションは、60周のグランプリには耐えられない状態であった。従ってライコネンはアイルトン・セナの元トレーナーとトレーニングを開始し、レースに向けての準備を整えていった。

ライコネンは二度目のF1テストを9月28日にムジェロで行った。ラップタイムの比較でいうと、エンリケ・ベルノルディを僅かに上回っていた。エンリケもスポンサーのレッドブルのサポートを得て、ザウバーでのシートを探していた。Eeckelaertは、最も納得のいくことは、この若いフィンランド人が自分のクルマのセットアップ変更をどのように評価していたかということだ。スポンサー(レッドブル)の要求にもかかわらず、ペーター・ザウバーはライコネンをレースドライバーに選んだ。

ライコネンは2001年3月4日にオーストラリアGPで、ザウバーのドライバーとしてデビューした。そして6位フィニッシュしてポイントを獲得したのだった。その日から彼はワールドタイトル1回、優勝19回、表彰台69回と37回のファステストラップを獲得している。

ついでに別記事もザウバネタなのでいっしょにどうぞ。
Rinlandさんてどなたか存じませんけども、キミモンまゆ時代になる!っていうとこまではある意味正しかったですねえ。妹は(ry

Raikkonen is like Senna, says Rinland

12 December 2001

前ザウバーのデザイナーで現アロウズのチーフデザイナーであるSergio RinlandはBBCにこう語った。「彼の目の中に私はそれをみた。彼の目をみて私は、これは以前に見たことがある、そしてそれは誰だったのか知っているはずだ、と思った。それを思い出したとき、鳥肌がたった。それはセナだったからだ。あと何年後かには、ライコネン、JPモントーヤ、フェルナンド・アロンソ、そして恐らくラルフ・シューマッハがタイトルを争うようになるだろう」

べっつんとかハミルトンがこんな絡まってくると思ってなくて、ジェイビーもタイトルとるとは正直思ってなかったwんで、まゆきみ時代が来るのかなーと思ってたんですけど、それも違って、キミたんWRC放浪の旅に出ちゃうし、戻ってきて完走男になるし、なんかほんと、どうやって物事が転がっていくかってわかんないものですよねえ。
いまひゅる君のシートないかも(´・ω・`)とか、表彰台おしかった(´・ω・`)とか、トップチームのりたい(´・ω・`)とか、若手を応援する楽しみを満喫させてもらっていて、あーキミたんの若い頃のことも見ていたかったなって思うんですけれども、33の大人ムーミンを応援するのもなかなか楽しいものであります。

ということで明朝4時15分ロータスE21たんラウンチ!たぶん8時くらいにおふとんの中で見ます!(`・ω・´)

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The Inside Line – on Lotus’s Kimi Raikkonen どこでもよく眠れる特技!

ひみつ★とか言ってかわいいんだからああああああああああ(発狂)
キャンディ!ってサルミアッキは含まれるんですね…むり
ネバーギブアップ三連発(正直…楽でした)

他のドライバーの時出たこの二つはありませんでした、ざんねーん
Q: 忘れたいのに忘れられない出来事は?
Q: 好きなにおいは?

20071021の日付をいつまでも覚える会の一員としては震えました、でもやっぱ

ひみつ(笑)

これかわいい、大賞!!

ひゅる君のはこちら
チェコくんはこちら
べつんはこちら
えふわん通信あたりに全部あるんでないでしょうか。比べてみたいなー

The Inside Line – on Lotus’s Kimi Raikkonen

Q: 夜に眠りを妨げるものは何ですか?
ない。どこでもよく眠れるって特技を持ってるから。(I have the ability to sleep well, wherever I am.)

Q: 残りの人生からひとつ取り除けるものがあるとしたら何をなくしたい?
ない。

Q: 人生でもっとも価値あるレッスンは何でしたか?
諦めないこと。(Never give up.)

Q: 称賛したいものは?
1960年代や70年代初期のF1ドライバー。木で造られたクルマに鋼でできたドライバーが乗っていた。
※これでいいんだべか、後でかくにん
KR: Those boys from 1960s and early ‘70s in F1. Drivers made from steel in cars made of wood.

Q: 若いときの自分にアドバイスをするとしたら?
諦めないこと。(Never give up.)

Q: 今シーズンでレーシングキャリアが終わるとしたら、残りの人生は何をして過ごす?
考えてるプランはある。レースから離れた生活もしたい。だから、僕には世界の終わりってわけじゃないよ(笑)。

Q: 自分のパーソナリティを一番反映してると思う動物は?
僕が飼ってるジャーマンシェパードのAksu.
※2012/02のSeiskaのインタビューでは
– 犬が3匹。2匹のジャックラッセルテリアと、ジャーマンシェパードが1匹、スイスで母が面倒を見てくれてる。Reiska, Peppi, Ajax.
って言ってたんだけど>< Ajaxくんどうしたの(pq)

Q: 勝つことよりも人生で大切なことは?
健康。

Q: 最後の1ドルを何に使いますか?
考えは浮かんだけど、ひみつ(笑)。
KR: I’ve got an idea, but it’s a secret. (laughs)

Q: 一番の弱点は?
お菓子(Candies)。特にフィンランドのサルミアッキ。

Q: ほっとする食べ物は?
僕はスシ・ディッシュと大親友。

Q: レースを終えて、家についてまずすることは?
自宅で本物のフィンランド式サウナに入る。レースを終えてリラックスするのには最高の場所だよ。

Q: 怖いものは?
僕は何かを恐れるタイプの人間じゃない。何かが起きようとしているときは、そういう風になることになっているんだ。

Q: 今まで受けた最高のアドバイスは?
諦めないこと。(Never give up.)

Q: なりたいと望んだものになっている?
Yes I am. 僕の夢はいつも、ワールドチャンピオンになることだった。そして僕はそれを成し遂げた。

Q: 家にいるみたいな気持ちになる味は?
ライ麦パンとリコリス。

Q: 一番幸せだった瞬間は?
KR: October 21, 2007 in Sao Paulo, Brazil (タイトルを獲得したあと).

Q: 残りの人生、ひとつの場所に留まらなければならないとしたらどこにする?
フィンランド。

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Kimi Raikkonen Q&A – 復帰・E20・歩き方・セブ・来年…など

色々と濃い(そして長い)記事だった…

【まとめ】
・ロータスのみんなだいすき
・おれはおれ、みんなはみんな、自分のしごとをやって一緒にがんばろう
・E20たんのいいところは大きな弱点がないところ
・普段タラタラ歩いてて、つなぎ着るとシャキッとした歩き方してるのは、歩く量が少ないから
・べつんは友達(←「友達は特にいない」から苦節4年…!)
・愛想よくしようとか努力してみたことはない
・COTAは楽しそうなので早く走りたい(←でも徒歩で下見には行かない)
・来年も超がんばるけどいい結果はいいくるまから
・引退は決めてないけど今のところはF1すき

えふわん公式の記事なので、中の人の書き方がうまいだけかもしれませんが、↓このフレーズがとても気に入りました。
I was lucky to slip into F1 again as if I hadn’t been away – as if those two years melted down to one day
離れていた期間なんか無かったみたいに、あの2年間が1日に溶けてしまったかのように、F1に戻ってこられて僕はラッキーだった。

開幕の頃にちょっと騒がれていたけど、いっぱいしゃべるようになったよね。記事になって表に出るようになった、ってだけなのかわからないけど、これこれこんな感じのことがあってーとか、チームのみんなは超がんばってくれてる、とか、フェラーリの頃よりも多い気がする。小さいチームだから近く感じるのかな。去年声かけてくれたロータスにはほんとにほんとに感謝だなぁあらためて(*´ω`*)と思いましたです

Kimi Raikkonen Q&A: F1 racing – at the moment I like it!

Q: シーズンの最後から3レース目での優勝は、時間はかかりましたが遅すぎたということではありません。アブダビの前に、今年中に勝てると信じていましたか?
Kimi Raikkonen: Ha, 可能性があるっていつも考えてたさ。週末の間、何もかもをうまくやってレースでもそれを続ける、ただそれができるかどうかの問題だった。新しいパーツを入れた韓国から、少しクルマを改善することができていたんだ。インドではとても速さがあったけど、予選でミスをしてレースポジションが悪くなってしまった。だからアブダビは、ミスしないようにやれれば、単にロジカルなステップだった。僕達はあそこで、物事がスムーズに進めばチャンスがあるだろうってわかっていたんだ。そしてそれを手に入れて、やりとげたってこと! (笑)

Q: 予選の成績をみると、ドライバーズランキングで3位なのがなかなか信じられませんね。土曜の午後からチェッカーフラッグまでに何が起こるのですか? ペースが上がるスイッチがあるとか?
KR: ノー、それよりもシンプルなことだ。僕達のクルマは他のチームと比べて、そして予選の1ラップよりも、レースでより競争力がある。フェラーリにも同じ現象が起きている。彼らも予選ペースがないけど、レースではかなりいい。他のチームがもっている予選の1ラップペースが僕達にはない。でも何らかの理由で、僕達のクルマはレースではかなりいいんだ。

Q: では、予選がいつも少し痛い結果になるという状況には慣れて、そこからレースでクルマの全力を出し切れるということですか?
KR: それは僕の予選がいつもかなり悪いみたいに聞こえるけど、全部が真実じゃないよ。アブダビではかなりいい予選で、僕は5番グリッドだった。いいスタートを決めなきゃいけないって僕はわかっていて、ok, セバスチャン[ベッテル]がピットレーンからスタートしたことはどんな理由であれちょっと助けになったよ。そして僕はいいスタートができて、そこからは事がうまく運んだのさ。(笑)

Q: カムバック成功の要因は何でしょうか? あなたの復帰がうまくいって、グリッドにいる有名ドライバーがうまくいかなかった理由は何でしょう? 年齢、クルマ、決意?
KR: 僕にはわからない。もちろん、いいクルマといいチームが必要だ。でもそれはコインの片面でしかないだろうと僕は思う。とてもたくさんのファクターが関係しているし、それが何であるのかの手がかりを僕は持っていない。カムバックするのに、正しいやり方とか間違ったやり方とかいうのは無いんだ。もちろんミハエル・シューマッハのチームは僕のチームより大きいけど、僕達のチームには、僕の側には素晴らしいメンバーがいてくれる – そして僕達は向かっていくことができるんだ。まるで離れていた期間なんか無いみたいに – あの二年間がたったの一日に溶けてしまったみたいに、F1に戻ってくることができて、僕はラッキーだった(I was lucky to slip into F1 again as if I hadn’t been away – as if those two years melted down to one day)。そして新しいチームとのケミストリーは初日からうまくいっていたんだ。

Q: 2012年は満足の一年でしたか?
KR: いつだってもっといい結果を望むものだ。チャンピオンシップのメインコンテンダーになれなかったことはちょっと残念だったけど、僕達にそんなことを期待した人は誰もいないと思う。来年はそのポジションに行けたらいい。

Q: 本当にタイトル争いができると信じて復帰をしたのでしょうか?
KR: 今年ではないだろうとは思っていた。2011年はこのチームにとって難しい時期だったのを分かっていたから。でも僕達はうまくやれるだろうとは確信していた。

Q: あなたのクルマのいいところは?
KR: 全体的に強力なパッケージだ。他のチームより優れている一点とか一部分とかは無いんだけど、言い換えると大きな弱点がないということでもある。これが僕達をかなり強くしてくれた理由だと思う。もちろん僕達にはもっとストレートラインスピードが必要だけど、さっきも言ったように、このクルマの最大の強みは、大きな弱点が無いことなんだ。

Q: あなたとの契約で、チームはジャックポットを引き当てましたね。あなたがチームに与えた影響はどれほどのものですか? あなたは裏の(secret)チーム代表になるタイプのドライバーですか?
KR: いや、全然(笑)。僕はクルマに乗って自分の仕事をやる。他のメンバーは、ピットウォールで自分の仕事をやる。彼らは僕の復帰を助けてくれて、僕達は一緒にうまくやってきたんだ。影のキーマン(shadow man)になりたいとかいう野心は全然ないよ(笑)。

Q: つなぎとヘルメットによって人は変わるのでしょうか? あなたの動きは、レース用の装備のときと、洋服のときとでは違います。大またでスタスタ歩いたり、もったり(足を引きずって)歩いたり…(here you stride, there you shuffle…)
KR: Ha, そう?(笑) レース用の格好であまり歩く必要はないから、洗練された歩き方って印象は多分そのせいじゃないかな。チェックしてみるよ。

Q: 長い間、タイトルコンテンダーのひとりでした。でもアブダビで夢は潰えてしまいましたね。ベッテルとアロンソ、どちらが有力だと思いますか。そしてその理由は?
KR: 今年いちばん強いクルマはレッドブルだろう。でも彼らは何度かリタイアしている。反対にフェラーリはかなり信頼性があるけど最速のクルマではない、僕達と同じように。だから、壊れなければレッドブルが優勢だろうと思う。ふつうのレースでリタイアがなければ、レッドブルが勝ち取るだろうな。

Q: セバスチャンは、ドライバーの中で友人といえるのはあなたが一番親しいと話していました。ドライバー同士の友情の基礎は何ですか?
KR: Ha, セバスチャンとはかなり前にレースで知り合ったんだ。彼はその当時まだ若くて、僕は彼と話をし始めた。それ以来、会ったときにはお互いに話をしているよ。彼はまっすぐでわかりやすくて、僕はそこが好きだ。

Q: しかし休暇を一緒に過ごしたりはしないでしょう?
KR: うん、でも彼が新しい家に引っ越すまでは、僕達は近所に住んでいたんだ。それに彼は、彼のフィンランド人の友達と一緒に、フィンランドでかなり長い時間を過ごしてる。そして、僕も彼を友達だと思ってるよ。(he has spent quite a bit of time in Finland with his Finnish friends. And yes, I also would consider him a friend. ←これよくわかんないんですけど「彼のフィンランド人の友達」とキミたんは別人? いっしょ?? ←なんだかんだSimi好きw)

Q: 復帰して、何で自分はこんなに人気があるんだろう?と不思議に思ったことがありますか? 一人の強烈な(rowdy:乱暴な)キャラクターは、十人のイエスマンよりももっと価値があるとF1パドックが理解したのでしょうか?
KR: Ha, 物事がこんなにも変わることができるのは、おもしろい(funny)よね。僕は自分の好きなようにやってて、それを気に入る人もいるし、気に入らない人もいる。僕がやったことがないことのひとつは、感じよく振舞おうとすることだ(One thing I have never tried is to please)。これって最近人気があるみたいだけど!(笑)

Q: 今週末は2007年以来のアメリカグランプリで、F1レーシングのために建設されたトラックでの初レースです。これまでの印象は?
KR: まず、ファンタスティックにみえるし、コンピュータで体験した限りは、レースしてみてもきっとファンタスティックな感じがするに違いないだろうと思う。明日クルマに乗って味わってみることをとても楽しみにしている。見た目はとてもカラフルでアートのようだ。ドライブしてみても芸術的なコースであることを期待しよう。

Q: ドライバーズランキング3位の座はほぼ堅いようです。2013年に集中し始めていても何の驚きもありませんが、来年に向けての野望は?
KR: いいクルマができるといい – そしてそんな方向の兆候がある。シーズンを始めるのは(2012年よりも)ちょっと楽になるかもしれない。今はお互い、何を期待するべきか分かっているから。今年よりもうまくやれるように挑戦するけど、全てはいいクルマを中心に回るものだ。

Q: どのくらいF1に留まろうと計画していますか?
KR: 2013年末まで契約がある。それからのことは静観するつもりだ。2013年が最後の年になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。先のことはわからないさ。今この瞬間は、僕はF1が好きだ。

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