2012年にキミは勝てる! スレイドさん(&アランさん)談!!!!!

ま、まじすか
ていうかスレイドさん色々ごちそうさまです色々!!!!! なんか! おなかいっぱいです!!!
スレイド愛!!!
川井ちゃんに「ちょっとコワイ」とか言われても!! 愛!!!!
(しかもそれは対ペトロフ)

なんかこう、2年目22才ぴちぴちムーミンの頃から5年間とか、ちょっとした人工保育担当っていうか、ちょっと反抗的なコだった頃もあったよね的な振り返りとか、おなかいっぱいです!!!! うっす!!!!! ごっつぁんです!!!!!!

これautosport PLUSの記事で、私は登録してないので読みたいなーって思ってたんですけど、別のところに転載されてたー。ていうかたぶんGateさんにのってるやつがこれの一部だと思う。すげー長いよーーー

なるべく気をつけたつもりですが、地の文は筆者のTony Dodginsさんだと思って読んでください↓

Raikkonen: Why he can win races in 2012

via Kimi Raikkonen Space
original: Tony Dodgins

(略)
オーストラリアではライコネンは7位で戦いを終えたが、彼のレースはQ1通過に失敗したことで難しいものとなった。トワイライトレースに向けて、予選はメルボルンの空の太陽が沈んでいく中で行われていた。

レースエンジニア、マーク・スレイドは語る。
「光のコンディションのせいで彼はバイザーに問題があり、ヘルメット交換を望んでいた。私達は非常にタイトなスケジュールで進行させていたので、それを完了できる時間はなかった。私達は計測ラップを2回走れると考えており、彼の1本目は非常によかったように見えた。T12でワイドに行き過ぎるまでは。彼は3周目を走れると考えていたが、彼に3周目は走れないと伝えることまで私は考えが及んでいなかった。彼はQ3に進出できていただろうから、そのポジションから何ができていただろうかと考えると、本当に残念だった。このゲームから私は6ヶ月、彼は2年離れていたので、おそらくは僅かな錆つきがあったのだろう」

スレイドはピットウォールで時間を過ごしてきた。1994年のマクラーレンでマーティン・ブランドルのチームとしてトラックサイドの仕事を始め、その後にマーク・ブランデル、1998年から2001年までミカ・ハッキネンのレースエンジニア。2002年から2006年、最初のシーズンからマクラーレンを去るまでキミを担当した。

「それからフェルナンド・アロンソを1年担当した。残念なことに彼は出て行ってしまったのだが、私は本当に楽しかった。それからヘイキ・コバライネンと2シーズン。その後にここルノーでヴィタリー・ペトロフを1年担当し、メルセデスに行ってミハエルと仕事をした。ミハエルとは政治的な理由が少しあって、10レースだけだった。ミハエルとは何もできなかった。彼と一緒に働けるのは喜びだったことを付け加えなければならないが」

スレイドはメルセデスのファクトリーベースの仕事に移った。そして2011年のハンガリーが彼の300戦目だった。ロータスのオーナーであるGenii Capitalのコンサルタントであるジャッキー・スチュワートからライコネンについての電話を受けたとき、スレイドは家族と多くの時間を過ごすことに慣れてきていたところだった。たくさんの優勝経験者と働いてきて、スレイドはそれがどんなに魅力ある仕事か分かっていた。

「キミとはたぶん、最も親密な関係を築いたと思う。彼ら(担当したドライバー)みんなとうまくやったと感じているけれどね。力量をもったドライバー達といると、自分が行った努力は彼らの熱心な姿勢となって返ってくるということがわかるんだ。それが、(この仕事を)とても価値あるものにしてくれる。ルノーで働いていた1年がとても好きだった – 一緒に働いていて、とても楽しい人間ばかりだ。だから、このチームでキミと一緒に働くということを考えてみたとき、本当に最高だと思った。彼ら(ルノー)は昨年困難な時期を経験し、将来について少し心配しただろうと思う。チームで働く人間の多くは子供がいる。そういうときは、自分自身の身の振り方を少し考えなければならない。そしてそれは残念なことだ。このチームは本当にいい形だと私は考えた、あるいはそういう印象を受けたからだ」

テクニカルチーフ、ジェームズ・アリソンは、ピレリタイヤについてよく知っていたら、2011年のフロント排気を無くさなかっただろうと認めた。欠陥のあるばらばらの2011年型シャシーからスタートして、有力なシミュレーションとコンピューティング能力があれば、前進する可能性はあった。そしてロータスはおそらくロバート・クビサを取り戻すことができないので、出来るだけ早くそれが必要だった。

スレイドは言う。
「一部の人々は、キミは正しい理由のために戻ってきたのではないと考えていると私は思う。しかし、彼が私に電話をしてきたとき、自分とまた一緒に働いてくれるかと聞いてきたとき、彼は私を失望させようとしているのではなく、本当に真剣だったと私は確信している。これについては私は全く心配していない。彼が変わったとも思っていない。彼が現場にやってきた時、スーパースターだった子供の頃と同じだと思った。彼のドライビングはすぐに成熟し、クルマのエンジニアリングアプローチは、彼と同年代のほとんどを追い抜いていた」

ロータスはライコネンの速さを、テストですぐに確信した。

「私が見ている限り、彼はこれまでにないくらいコンディションが良いように見えるし、そしてまさしくトップレベルにいる」とスレイドは考えている。

チームで23年働く、経験豊かなトラックサイドオペレーションディレクター、Alan Permaneは非常に感銘を受けていた。給油なしでF1を走ったことが無いキミが、150kgの燃料の感覚にすぐに適応したからだ。

「予選とレースではもっと違いは大きいのだが、我々は30kgから始めて、160kgまでの違いを彼にみせた。我々は燃料エフェクトからタイム差を計算していた。そして彼は1周目でその違いを見極めていた。印象的だった。そして彼は、予想されていた通りの1周あたり0.1秒のタイヤデグラデーションで20周走った。私は初日から彼に感銘を受けていた」

Permaneに、アルバートパークのプラクティスで起こったようなパワーステアリングの問題について聞いた。Permaneは、去年ケータハムでヤルノ・トゥルーリに起こったような大きな問題ではないと話す。速い方向転換かステアリング修正のとき、ステアリングが少し重いとライコネンは感じていた。

「このレース[マレーシア]は、私が覚えている彼に、まさしく戻ったようだった」とスレイドは話す。
「メルボルンではまだ少し自信を探していた。そしてセットアップももっとやれることがあったと私は思っている。一旦勢いに乗ってしまうとこういうことはやりたくないものだが、私達は今ここを去る。今週末は、彼がどういう風に変えたかったかについてコメントをしている。そしてそれは私が予想していたものだった。彼がきちんと戻って来たということを示していると思う」

ベネトンとフェラーリで、ミハエル・シューマッハはそのオーバーステアに対処する能力をもって、「とがった」フロントエンドをもつクルマを望むことで有名だった。しかしライコネンがフェラーリにやってくると、その点でキミが(ミハエルより)もっとそうだということが分かり、彼らは驚いた。
しかしキミを、横滑りの乱暴なドライブだとみなすのは誤りだ。おそらくこの印象はラリーを好んだり、マレーシアで見たような慌しい予選ラップによって更に悪化している。

「実際は、彼はすごく滑らかだ。そしてそれは、攻撃的なステアリング入力で対処しているドライバーよりも、よりシャープにクルマを操ることができるということだ。そしてそれが彼の強さだと思う」
とスレイドは話した。

他には?

「周りで何が起こっていても慌てないことと、改善する必要があるものについてフィードバックをするのがとても得意なこと。彼は非常に独立した人間で、人が自分の世話をあれこれするのが好きではない。自分でヘルメットをかぶり、無線のコネクターを自分で調節する。自分の周りで人に慌しく動かれたくないんだ。これは動じないひとつの確固たる気持ちを彼に与えてくれている。この仕事をするにはとてもいいことだ。予選に出て行くほんの1分前なのにクルマがまだ台の上に載っていたことがあったが、我々が何とかするだろうと、彼はただそこに座っていた。他のドライバーならイライラしているだろうが、キミの場合はヘルメットをちょっと叩いて起こして行かせなければならない」

アイスマン、という形容は適切だろうか?

「大部分の状況ではそうだ。しかし、ポイントを分かってほしいとき、彼は非常に強く主張する。それは幾分か、動揺しているように聞こえるかもしれない。でも彼は動揺しているわけではない。自分が望んでいることを分かっていない人が誰もいないことを確かめたいだけなんだ。間違った方向にとらえる人がいるだろうことを私は想像できる」

フェラーリとの不満足な終結、そして2年間のブランクを経て、ライコネンが人に見せたがっているセンス、証明する何かを持っているのかどうかをスレイドは疑ったことはないのかが気になった。

「ああ。彼はいつも、理由がないのにちょっとした反抗者だったからね。確かに。独立心の一部だったし、文句を言う対象があったのは時々はいいことだったのかもしれないね!何もかもが簡単すぎたら、たぶん彼はつまらないと思ってしまうだろうから」

ライコネンはF1の周辺にあるもの、メディアとPRの側面を好きではなかった。それが金を払ってくれるものだとしても。

スレイドは言う。
「彼はただクルマに乗って、速く走って、エンジニアと作業をして、もっと速く走りたいだけだ。それ以外は鬱陶しくて気が散るものだと思っている。しかしそういうことをするのも大切なことだ。それをする必要があるということが一旦分かれば、彼はとても得意にこなしてみせる。しかし彼は出来る限り少なくしたいと思っている、それは分かるよ。私は完全に同意すると言っているわけではないが、彼がどうしてそういう風な見方をするのかは理解できる。そしてチームが彼を連れて行った日の終わりに、彼らが得ていることと、それと一緒にやらなければならないことを彼らは知る」

(中略)

スレイドの経験は、ロータスはチャンピオンシップに挑戦できるといえるだろうか?

「ここで長く働いている人間がたくさんいる。絶対にチャレンジできるチームだ。それをするためにはいいクルマが必要だ。大変な時期を乗り越え、再び立ち直らなければならない。しかし全員が十分な発展とともにトラックへ戻ってくる中、私達ができない理由は無い」

2012年にライコネンは1,2勝しかしない – これには賭けない方がいい。

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