RedBulletin: Drive Talkin’ -part2

つづきです! べっつんがおねーちゃんについての質問をするとは思わなかったよ!

 

RB: 技術的な発展、メディア、金銭の爆発を除くと、今日のF1とラウダ時代(四半世紀以上前)のF1の大きな違いは安全面での改善でしょうか?
NL: クルマが185マイル/h(訳注:297km/h)を超える速度に達することが既にできた時代に私は育ったが、時々は木々をほんの何メートルかのところで避けたりしていた。当時は、シーズンの終わりには2人くらいF1ドライバーが生きていないと予想しなければならなかった。このスポーツに参加する誰もが状況を分かっていたよ。だから「私はこのリスクを冒したいのか?」というような時は、もちろん、私達はクルマを習熟して支配することを愛しており、それを仕事にしたいと思っていた。危険にもかかわらずね。私達は限界までプッシュしようと挑んだが、何センチメートルかの余裕を考慮に入れてもいた。だから私達はまだ生きているわけだ。ベッテルは別の世界で成長した。F1が今日のような形へ発展したことを神に感謝するよ。

SV: どんなスポーツも発展する。危険の面で言えば、たとえばスキーなんかもそうで、40年前は安全フェンスさえなかったよね。今日のモータースポーツがどのくらい危険かを話す必要はないし、僕達はみんな、こういうことはいつも起こることだって分かっている。だけど少なくとも僕達は、人生への固有の脅威に対して四六時中計画を立てる必要はないよ。ドライバーズブリーフィングで座ってるところを想像してみて。シーズンの終わりに2人が死んでると知りながら – 今だったらそれは耐えられないだろうね。危険についての意思疎通は、その当時はインパクトを与え、ドライバー達は今よりも強い絆を築いた。だけど、小さなことも生死にかかわるような、そんな気持ちは誰も恋しいとは思ってないよ。例えば、1970年のヨッヘン・リントのことを考える。今の安全基準だったら、ああいう突然のクラッシュの後、彼はただスタスタ歩いてピットへ戻ってきただろう。今日のF1が無菌室みたいに見えたとしても、そしてドライバー達がレースの前夜にビールを飲まないのが考えられないとしても、スポーツの本質は大きく変わってはいない。限界のところでクルマをドライブすること。今は、さっきニッキが話した”何センチメートルかの余裕”を僕達が使い切った時も、致命的な結末はない。そうだね、神に感謝だね。でも、あまりにも頻繁にその慈悲を求めるべきじゃない。とにかく、限界まで攻めすぎることが多すぎるなら、フロントランナーにはなれないよ。

RB: ニキの時代のように、(訳注:ドライバー同士の)いい関係は今のF1にもまだあるんだろうか?
SV: 25人くらいドライバーがいるわけだから、基本的には学校のクラスみたいな感じだよ。自分と同じ波長だなと思う人が何人かいる。それから、合わない人も何人かいて、お互いに合わせようとしないでしょ。だけど、トラックから離れて個人的に会ったり、何かを一緒にしたりすることは – たとえば一緒に休暇に行くとか、地元に戻る時とか、そういうのはこの頃ないね。全開で過ごしているから、時間がないんだ。自分自身のためにさえ。みんながチームで自分自身に集中しているから、他のことはあまり多くは知らない。

RB: ニキ、あなたはF1に親友がいましたか?
NL: 友人とは何だ?私には友人がいないという批判が常にある。なぜだ?それは、自分自身の周りに壁を作り、公の場では絶えず偽の友人に囲まれているからだ。誰もが友人になりたがっている。これがドライバーを慎重にする。私はこれを避けるために、最初から「私には友人がいない」と言ったんだ。それでこの”フレンドゲーム”は止まった。私がレーシングの日々で一番親しかったのはジェームス・ハント[1976年のチャンピオン]だった。彼は本当にクールで、彼といると大笑いすることができた。私達は一緒にビールを楽しんだものだ。しかしそれは、休暇を一緒に過ごさなければならないという意味ではないがね。

RB: ジャッキー・スチュワートがレースしていた時は、ジャッキー、ヨッヘン・リント、ピアス・カレッジは離島で会い、バーニー・エクレストンもそれに参加するのが好きでしたね。
NL: バーニーとの休暇…耐えられないね! おそらく我々は将来について話していなければならない。そしてミハエル・シューマッハがぎりぎりで到着するだろう。フェルナンド・アロンソが、正しいクルマを手にしたなら今年はミハエルが最も脅威だと言っているのを読んだ。彼はどこからその考えを得るに至ったのだろうか?シューマッハの過去、勝利への意思と能力からか?私は君が有力だと思うよ、セバスチャン。
SV: ミハエルの豊かな経験と自信が、人々が彼の事を考える時に役割を果たしていると思うよ。人は自分達が何を望むか言えるけど、ミハエルがグリッドにつく時、彼は何かを誰にも証明する必要は無い。彼にはそれをしている楽しみがあって、フロントに行く自信があって、彼自身を誰にも倒させようとしない。空気が悪い時であっても、勝者の振る舞いをする少ない人間のうちの一人だ。

RB: セバスチャン、私達はこれを聞かなければならない。今年の最大のライバルは誰だと思う?
SV: 言えないよ。今年はワイルドカードがたくさんある。KERS, 新しいピレリタイヤ、あとはフェラーリがどのくらいうまくやるか。でも自信は感じてるよ。

RB: ベッテルとレッドブルレーシングは?離れられないでしょう?
SV: レッドブルレーシングには本当に、本当に満足してるよ。F1チームにいられることと、クルマのドライブを許されていること以上にね。僕は長い間レッドブルファミリーの一員で、本当に家族のようだ。ここでは家みたいにリラックスできるんだ。それから、レースに勝ってタイトルを賭けて戦えるクルマとシーズンを終わることができた。何かを変える理由は僕にはない。まあとにかく、これが終わる前に、ニキに質問があるんだ。すっ飛んでた頃のF1には”pit babes”(訳注:おねーちゃん)がすごくいっぱいいたってよく聞くんだよね。僕は、それは初期の頃だけだったに違いないと思うんだ。あなたはこういう噂は全部聞いたでしょう。彼女たちはどこからか来たのに違いないんだ! 当時のF1の男達は、僕達が信じさせられている通りに強烈だったの?

NL: 以前から言ってきていることだが、真実を話そう。もちろんだ! 我々の仕事がリスクを厭わない性質であったから、人生を十分すぎるほどに生き、おそらく我々は(きちんと)すべきだったが、物事をあまり真剣に扱わなかった。違うストレスと戦っていたから、特に長期のパートナーと関係を築きたくなかったんだ。私が考えられるベストの例は、遠い昔、1984年のポルトガルGPだ。アラン・プロストと私のタイトル決定レースだったが、私はタイトルを獲るために2位になればよかった。私のフィットネストレーナーWilli Dunglは、私のことを全くよくわかっていてこう言った。「おい、ブロンドのイタリアの女の子が君を探して走り回っているぞ」その後、ネルソン・ピケが私のところにやってきて -彼は常に新しい女の子を探していたな- 同じことを言った。彼女は階段の下にいて、非常に美人だった。私は彼女のところへ行き、声をかけた。私は紳士なので、金曜日に彼女をディナーへ連れて行った。彼女は私に、土曜の夜も夕食へ一緒に行けるか訊いてきた。私は彼女に、夕食はだめだが、夜8時から10時の間に私の部屋へ来てもよいと言った。なぜか?私は次の日にチャンピオンになりたかったので、10時には眠らなければならないと彼女に言ったんだ。彼女はOKと言い、10時(22時)10分前に私の部屋を出た。私は熟睡したが、翌朝起床した時「もし神がいるなら私は今日タイトルを失う」と思った。私の良心の重荷になっていたんだ。私の愛すべき同僚、非常に神経質で爪をいつも噛んでいたプロストが翌朝ピットに立っていて、チェシャ猫のように笑った。私はなぜそんなばかな笑顔をしているか尋ねた。すると彼は、想像できるかね – 前夜にモナコのステファニー王女と会ったと言った。神にとって我々は平等だということを意味したので、私は信じられないくらい安心し、レースに行くことができた。2時間後に私は3度目のチャンピオンになったんだ。保守派のためにこれを言えるが、我々の時代からF1ははるかに家族向きになった。何も起こらなかったし、起きても小さかったので、今は妻と子供たちが一緒にいる。F1の全体も通常の生活に戻ったのだ。あの頃と比べたら道徳的によくなったのは間違いないがね…

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